円山 応挙 まるやま おうきょ

作者紹介

雪松図屏風

円山応挙(旧字:圓山應擧)は江戸時代中期~後期の画家で、写生派の祖と言われている。 京都の農家の次男として生まれた円山応挙は、10代で京へ行き、鶴沢派の画家石田幽汀に教えを請うたとされているが、 幼少期の詳しいことは明らかになっていない。

20代の修行の時は京都の玩具商に勤めており、「眼鏡絵」の制作に携わった。 「眼鏡絵」とは西洋の遠近法を応用して描かれたもので、「覗き眼鏡」と呼ばれる凸レンズを嵌めた箱から見ると 立体的に見えるものである。 『石山寺図』『四条河原遊涼図』『賀茂競馬図』『三十三間堂図』『円山座敷図』などの京都の風景を描いた作品が 残されている。

晩年の応挙の作品は純然たる肉筆浮世絵とは異なるが、『四季遊戯図巻』『見立江口の君図』などの 浮世絵の様な雰囲気を持つ作品といえるだろう。

また、応挙の名には「銭舜挙(中国の画家)に応ずる」つまり、中国の大家に劣らぬ作品を生み出すという 彼の決意が込められている。

代表作

  • 『梅の枝を持つ立美人図』
  • 『金剛寺障壁画』
  • 『四季遊戯図巻』
  • 『藤花図屏風』
  • 『写生図鑑』
  • 『見立江口の君図』
  • 『雲龍図屏風』
  • 『七難七福図巻』
  • 『鯉図』
  • 『孔雀牡丹図』
  • 『雪松図屏風』
  • 『大瀑布図』
  • 『龍門鯉魚図』
  • 『保津川図屏風』
  • 『大乗寺障壁画』
  • 『雨竹風竹図屏風』
  • 『群獣図屏風』
  • 『金刀比羅宮障壁画』
  • 『木賊兎図』